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スズキレーシングレポート
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2019年7月3日
伊藤光夫氏のご逝去について
伊藤光夫氏
昨年12月「MFJモーターサイクルスポーツ殿堂」第1回 殿堂顕彰者 登壇の模様



スズキ株式会社の社員ライダーとして二輪車レースで活躍していた伊藤光夫氏が、7月3日に永眠されました。

伊藤光夫氏は1959年から1969年にかけて、スズキの社員ライダーとして二輪車世界ロードレース選手権をはじめとした国内外のレースに参戦し、1963年にマン島TTレース(英国)で 日本人として初めて優勝を果たすなど、輝かしい成績を収めてきました。

レース引退後もスズキのレース活動に携り、レース車両の開発、世界に通用する技術の向上、後の世界チャンピオンとなるケビン・シュワンツなど優秀なライダーの育成に加え、長きにわたりMFJの技術委員を務めるなど、スズキのみならず日本の二輪車のレースの普及、発展に貢献してきました。

その功績を称え、日本のモータースポーツの後世に伝える歴史として、日本モーターサイクルスポーツ協会(MFJ)が 設立した「MFJモーターサイクルスポーツ殿堂」の第1回の殿堂顕彰者に選出されました。

伊藤光夫氏の偉大な功績と、モータースポーツにかけた情熱に敬意を表するとともに、謹んで哀悼の意を表します。

スズキ株式会社

伊藤光夫氏
1963年マン島TTレース50ccクラスで初優勝した伊藤光夫氏