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 パワーフリー号の好調な売れ行きに気を緩めることなく、更なる性能の向上を求めテストが実施された。1952 年 7 月 12 日、社長をはじめ会社幹部に見送られ、浜松−東京間の走行テストへと出発していった。
まだ
道路もきちんと整備されておらず、自転車に付けた小型エンジンでの長距離走行は厳しいものがあった。翌 13 日の日没頃には目的地の東京出張所へたどり着くことができたが、まだまだ研究の余地が残されていることに気づかされる結果でもあった。

 1952 年 7 月の道路交通法改正により原動機付き 2 サイクル自転車は 60cc、4 サイクルは 90cc まで無試験許可制となった。すぐさま 60cc エンジンの開発にとりかかるが、当然時間的な余裕はなく急ピッチで作業が続く。設計に 1 ヶ月、試作に 1 ヶ月、テストに正月休みの 1 週間を充てる慌ただしいスケジュールだった。
パワーフリー号の設計を踏襲した 2 作目を「ダイヤモンド・フリー号」と名づけ、1953 年 3 月より市販が始まった。60cc・2 馬力に強化されたエンジンはライバル車の中でも最もパワフルであり、発売当初から月産 4,000 台の好調な売れ行きをみせた。さらにパワーフリー号の時と同様に、このダイヤモンド・フリー号の性能をアピールするため、いくつかのデモンストレーションが計画された。


浜松−東京間走行テスト。(1952 年)
箱根を越える厳しい長距離走行テストに見事成功。パワーフリー号から得た様々な経験が、ダイヤモンド・フリー号の大ヒットへとつながった。


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