
1952 年の 1 月、30cc・0.2 馬力のエンジンを積んだ待望の試作車「アトム号」が完成した。これは市販自動車の車体に取り付けるもので、その強度が耐えうる大きさのものというコンセプトで開発された。しかし試乗してみた結果、もう一段上の馬力が必要だと判断された。すぐに 36cc へのボアアップを中心とした各部の改良に取り組み、同年 3 月には 36cc・1 馬力というパワフルなエンジンに生まれかわった。まず発案者の鈴木俊三が乗ってみた。そして社長の鈴木道雄にも試乗してもらい、実用性が確認された。更に改良を加え、同年 4 月に最終型が完成。「パワーフリー号」と命名された。
このパワーフリー号の販売に向けては、新規事業への参入という不透明感があり社内外から反対意見があったが、俊三はその反対意見を押しきり事業化に踏み切った。
パワーフリー号のお披露目は地元浜松で毎年 5 月に行なわれる浜松祭りの凧上げ会場となった。俊三を先頭に設計の丸山以下 5 名の社員が会場をパレード。「日本一のバイクモーター・パワーフリー号」と書かれたトラックがそれに続き、観衆の注目を集めた。当時のライバル車に比べパワーフリー号には一歩先を行く優れたメカニズムが搭載されていた。特許を取得したダブル・スプロケット・ホイールは補助エンジンとしては画期的な 2 段変速を実現していたのだ。6 月には浜松商工会議所前で、そして 7 月には陸用内燃機関協会の斡旋により東京日本橋の白木屋で展示即売会が開かれた。各地で高い評価を得たパワーフリー号は、発売直後から順調な売れ行きを見せていった。
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